【コラム】次世代に伝えるスポーツ物語 第214回 水泳・ベルリン五輪競泳男子800メートルリレー

2014年 4月 30日

 エース萩野公介(東洋大)の台頭をきっかけに、競泳男子自由形を重点強化中の日本。中でも800㍍リレーはその国の自由形の実力が反映されるだけに、注目種目となっているが、以前は男子自由形、そして男子800メートルリレーが「お家芸」と呼ばれた時期もあった。
 1936年ベルリン五輪。大会11日目に行われた男子800㍍リレーはまさに圧巻だった。メンバーは1915年1月生まれの21歳、遊佐正憲(香川県出身)、1916年1月生まれの20歳、田口正治(京都府出身)、やはり1916年8月生まれの新井茂雄(静岡県出身)、そして1917年5月生まれの19歳、杉浦重雄(静岡県出身)の若手4人。このうち、前回五輪で同種目を経験していたのは遊佐だけで、他の3人は五輪の舞台に立つのも初めてだった。それでも期待が大きかったのは、遊佐と新井が100メートル自由形の優勝候補にも挙げられるほどの実力の持ち主だったからだ。
 期待が大きく膨らむ中、第1泳者の遊佐がスタートよく飛び出し、第2泳者の杉浦もその勢いをつなぐ。そして第3泳者の田口から、アンカーの新井にリレーしたときには独走状態で、注目は金メダルの行方ではなく、タイムに注がれていた。歓声の上がる中、2位米国に15メートルもの大差をつけてゴール。前回1932年ロサンゼルス五輪で日本がマークした世界記録8分58秒4を、7秒近くも更新する8分51秒5の世界新記録で五輪連覇を達成した。
 驚異的な記録の誕生には、伏線があった。800メートルリレー同様、前回ロサンゼルス五輪で金メダル(宮崎康二)に輝いていたのが100メートル自由形。この大会では当然、日本勢2連覇の期待がかかっていた。だが、思わぬ形で足下をすくわれてしまった。田口も含めて3人が進んだ決勝。日本勢同士で意識し合ったのか、伏兵のチック(ハンガリー)に金メダルをさらわれ、0秒3差の57秒9で遊佐が銀メダル、銅メダルに新井、そして田口は4位に終わった。「水泳ニッポン」としては、800メートルリレーは、優勝を逃した100メートルの雪辱の舞台でもあったのだ。
 800メートルリレーは、戦後も日本のお家芸として継承され、1952年ヘルシンキ五輪で銀メダル、1960年ローマ五輪でも銀メダル、1964年東京五輪では銅メダルを獲得している。だが、その後、男子自由形は世界のパワーの前に水をあけられ、メダルを獲得できない状況が続く。復活が待たれる。=敬称略(昌)

(提供 日本トップリーグ連携機構)