【コラム】次世代に伝えるスポーツ物語 第213回 アーチェリー・道永宏

2014年 4月 23日

 何が起こるか分からないのが五輪。とはいってもアーチェリーでメダル獲得を予想した者など当時はいなかったに違いない。1976年モントリオール五輪でのことだ。
 前回1972年ミュンヘン五輪で52年ぶりに復活したアーチェリー。このミュンヘン大会での日本選手の最高成績は17位だっただけに、4年を経たとはいえ、男女各2人の代表のうち、1人でも入賞してくれれば、「御の字」というのが関係者の本音だった。というのも、4人のうち3人までが国際大会の経験がなかったというのだから、メダルを期待する方が無理というものだった。
 そんな周囲の予想を大きく覆したのが、同志社大2年、19歳の道永宏だった。初の国際試合が五輪だったにもかかわらず、度胸満点のプレーを披露して快挙を達成してしまったのだから競技関係者もさぞや驚いたことだろう。
 競技は7月27日から4日間の日程で行われた。道永は初日に3位につけると、得意とした50メートルと30メートルが行われた2日目も3位をキープ。3日目は苦手の90メートルと70メートルだったが、正確に的を射抜き続けて2位に浮上した。迎えた最終日。「怖いもの知らず」の道永もさすがに重圧に押しつぶされそうになったというが、勢いは止まらず、そのまま逃げ切り、銀メダルに輝いた。
 1956年10月生まれ、神戸市出身。両親がともにアーチェリー選手とあって、4歳の頃からアーチェリーに触れて育ったという。もっとも中学時代は体操部で、本格的にアーチェリーを始めたのは高校入学後。それも高校にはアーチェリー部がなく、神戸アーチェリークラブで練習に励んだ。練習に明け暮れた日々、いつしか「練習量は日本で一番」という自信が自らを支えていた。神戸市でアーチェリー用具店を経営していた元世界選手権代表の父の指導も大きかった。
 日本初のアーチェリーでのメダル獲得の瞬間を見守ったその父は、号泣。その横で道永の笑顔は輝いていた。「日本人は腕力がない。これを補ってくれたのが父です。家の近くの90メートルの射場でよくしごかれたものです」と道永。父子でつかんだメダルでもあった。道永は、大学卒業後も競技を続け、1980年モスクワ五輪を目指したが、日本の不参加が決まり、競技の一線から退いた。=敬称略(昌)

(提供 日本トップリーグ連携機構)