【コラム】次世代に伝えるスポーツ物語 第210回 大相撲・高見盛

2014年 3月 26日

カテゴリ: コラム

 歓声が降り注ぎ、座布団が乱れ飛んだ。勝ち名乗りを受ける時には叫んでいた。
 「勝ったのか、俺。勝ったんだ」
 平成15年名古屋場所、西前頭3枚目の高見盛(本名・加藤精彦)は横綱朝青龍から金星を奪ってみせた。相手の強烈な張り手にひるまず、得意の右差し。かいなを返して寄り切る完勝だった。14年に及ぶ現役生活で、思い出に残る取組に挙げたのが、この一番である。
 昭和51年5月12日、青森県板柳町でリンゴ農園を営む家の3男として生まれた。小学4年生のとき、大柄だった加藤少年は担任教諭に相撲を勧められた。一度は断ったが、「入部したら好きなだけ給食を食べさせてやるぞ」の口説き文句に首を縦に振った。中学高校と全国制覇。日大ではアマチュア横綱に輝いた。「人生は一度。どうせならとことんやってみよう」。それまで考えていなかったプロへ。東関部屋の門を叩いた。
 11年春場所、幕下付け出しで初土俵を踏んだ。転機は西前頭7枚目で迎えた12年秋場所だった。3日目の取組で右膝前十字靱帯を断裂してしまう。「ブチブチと音がした」。目の前が真っ暗になった。途中休場に全休2場所。番付は幕下まで落ちた。
 少しずつ体を戻し、1年半かけて、ようやく幕内に戻った14年春場所。土俵に上がると足が震えた。「幕内は、十両と雰囲気が違った。土俵に上がるのが恐くてどうしようもなかった」。無意識のうちに自分の顔面を思い切り殴っていた。最後の仕切り前、気合注入の〝儀式〟は、こうして生まれた。
 自らを奮い立たせながら取り続け、古傷の右膝や右肩などが限界に達した25年初場所限りで引退。年寄「振分」を襲名した。
 東関部屋の稽古場には傾いた鉄砲柱がある。通常、鉄砲柱には、押しの基本である「脇を締めて腕を前に押し出す」動きをするものだ。しかし、高見盛は得意の右差しを磨くため、入門以来、鉄砲柱に右肩から当たる動作を繰り返してきた。そのため、かしいでしまったのだ。技術の修得について「教えればできるというものではない。毎日やるという気迫がなきゃ、できない」と語る振分親方。次の夢は「多くの日本人力士を誕生させて若貴ブームのような大相撲人気を復活させること」だという。=敬称略(志)

(提供 日本トップリーグ連携機構)