【コラム】次世代に伝えるスポーツ物語 第209回 スキー・ジャンプ 葛西紀明

2014年 3月 19日

カテゴリ: コラム

 「今までの(競技人生の)全てが詰まっている」―。メダル授与式で葛西紀明はこう言って顔をほころばせた。1992年アルベールビル大会から7大会連続で五輪に出場し、追い求めてきた個人種目でのメダル。2014年ソチ五輪ノルディックスキーのジャンプ男子ラージヒルでようやく銀メダルに輝いた。冬季五輪での日本勢最年長メダルであり、日本勢のジャンプでの表彰台は1998年長野五輪以来16年ぶりの快挙でもあった。
 1回目に最長不倒タイの139メートルを飛んで2位につけると、2回目も133・5メートルをマーク。合計277・4点は優勝したカミル・ストッホ(ポーランド)に1・3点差だった。「もう少しで金に届きそうだった。6対4で悔しい」と語ったが、2回目のジャンプを終えると、ほかの日本メンバーたちが駆けつけて祝福。ともに喜び合った。
 「(団体銀のリレハンメル五輪は)みんなでうれしさを味わった。きょうは独り占めで本当にうれしい」という言葉に実感がこもる。ここまで長い道のりだった。悲運のエースとも呼ばれた時期があった。高校1年からワールドカップ(W杯)に参戦。当時の最年少となる19歳でW杯初優勝も飾った。それ以来、世界の第一線で活躍し続けてきたが、五輪の個人メダルには縁がなかった。さらに、所属先は2度も廃部に。1994~95年シーズンには着地で転倒し、鎖骨を2度も折った。それでも諦めなかった。
 葛西を支え続けたのは、長野五輪で味わった悔しさだった。地元開催の五輪で日本は団体金メダルに輝いたが、直前の故障でメンバーから外れた。「4年に1度、五輪が近づくと、あの映像が流れる。悔しくて仕方ない」。札幌市内の自宅にトレーニング器具をそろえ、ランニングは一日も欠かさない。体重計には1日に何度も乗り、体調管理に努めてきた。
 迎えたソチ五輪シーズン。1月のW杯では最年長優勝も果たした。若手に劣らない活躍ぶりに、海外勢も畏敬の念を込めて「レジェンド」と呼ぶほどだ。
 それだけに、悲願の個人メダルはうれしかったに違いない。それでも涙はなかった葛西が、団体ラージヒルでは泣いた。合計1024・9点を挙げての銅メダル。日本は2回目の3人目を終えて3位に付け、最後に葛西が飛び、銅メダルを確定させた。
 万全な状態のメンバーはいなかった。膝を痛めながら出場した伊東大貴、竹内択は試合後に難病の「チャーグ・ストラウス症候群」の疑いが高いと診断されていることを告白した。だからこそ「後輩たちにメダルを取らせてあげたかった。4人で力を合わせてメダルを取れたことがうれしい」。瞳に光るものがにじんでいた理由だった。=敬称略(昌)

(提供 日本トップリーグ連携機構)