【コラム】次世代に伝えるスポーツ物語 第208回 アルベールビル五輪ショートトラック男子5000㍍リレー

2014年 2月 24日

カテゴリ: コラム

 個人では力及ばずとも、チームでなら戦える―。ノルディックスキー複合、ジャンプ、陸上では男子400メートルリレー、競泳ならメドレーリレー……団体競技で数多くのメダルを獲得してきた日本。ショートトラックでもそうした〝伝統〟の力が発揮された。1992年アルベールビル五輪男子5000メートルリレー。この大会から正式種目となったショートトラックは男子1000メートル、男子5000メートルリレー、女子500メートル、女子3000メートルリレーの4種目が行われた。1988年カルガリー五輪では公開競技とあって選手村にも入れないという状況の中で、女子3000㍍の獅子井英子の金メダルなど、3つのメダルを獲得する活躍を見せていたニッポン。正式種目となって迎えた五輪での活躍はショートトラック界にとって死活問題でもあった。
 しかし、状況は様変わりしていた。「世界のレベルが上がっている上に、(海外勢も)目の色を変えてきている」。厳しい戦いを余儀なくされ、メダルに届かないまま、最終種目の男子5000メートルリレーを迎えた。
 悲願のメダルをかけた決勝。しかし、日本はスタートで出遅れてしまう。1周111・12㍍のリンク。カーブがきつく接触、転倒が伴う競技で、ニュージランドとし烈な3位争いを繰り広げた。残り7周で河合季信が3位に浮上すると、必死のリレーを見せる―。
 実はこのとき、日本選手団の旗手を務めた川崎努は絶不調に陥っていた。不調の22歳は決勝出場辞退を申し出たほどだったという。しかし、仲間に励まされ、気持ちを奮い立たせてリンクに立った。そんな川崎を、赤坂雄一、河合、石原が見事にフォローした。ゴール直前、最後は河合が激しくまくって3位でゴール。「アンカー勝負ができるよう力をためていた」と河合。まさに狙い通りの展開に、納得の表情が浮かんだ。もちろん、どんなにチームワークがよくとも、個の力があってこその団体。河合自身、筑波大大学院を1年間休学して競技に打ち込んできた努力があったからこその歓喜の瞬間でもあった。そして、ここから日本ショートトラック界の五輪史が始まる。まさに記念の一日となった。=敬称略(昌)

(提供 日本トップリーグ連携機構)